no.099

建築の針路を歴史へ向けて
2018年9月  

高道 昌志(2015年博士課程修了 高村ゼミ) 


  中国大連を訪れています。旧南満州鉄道株式会社、通称満鉄の住宅調査に参加するためです。いま、ホテルの窓から見えているのは、大きな広場とそれを中心に広がる美しい放射状の街路。中山広場と名付けられたこの場所は、いまから約100年前、日本人によって設計されたものですが、その壮麗な都市デザインも、いまでは高層ビルに呑み込まれんばかりに小さく見えます。

 まさに兵どものが夢の跡ですが、そんなことを考えていると、ふと自分自身の過去現在へと思いが巡ります。自分にとっての大きな転機はいつだったのか、おそらくそれが、建築の歴史を学ぼうと決めた、あの瞬間であったと思えるのです。

 思えば、私の大学生活のほとんどは、歴史・意匠研究室、要するに高村ゼミでの時間でした。2006年、配属が決まって間もない私たちを待ち受けていたのは、当時、高村ゼミが実施していた山下啓次郎に関するプロジェクトでした。明治五大監獄の設計者としてよく知られている山下は、法政大学の旧第三校舎の設計者でもあります。私は、千葉、愛知、奈良、長崎へと、彼の航跡を辿る長い調査のなかで、歴史的建築の面白さに惹かれていったのでした。

 それから、このプロジェクトでは、成果物として復元模型が求められていました。限られた写真や資料のなかから、設計者の意図を組みとり、当時のデザイン潮流も参照しながら進める歴史的考察は、設計にも通じる、創造的な行為であることを、このとき身をもって学んだ気がします。

 幸いだったのは、その後も、国内外を問わず、様々な調査に同行するチャンスを得たことです。そこでは、書物の中では決して描かれない、生身の歴史が実際のフィールドを舞台に広がっていたのです。昭島の農家から、ベトナムの片田舎まで、実際のモノ、空気に触れながら進められる調査は、建築の時間を遡っていく刺激的な体験として心に刻まれていきました。

 私自身、以前からまちを散策したり遠回りしたりすることは好きだったけれど、研究室がこうした時間をかけた考察、言い換えるならある種の「めんどくささ」を許容してくれるような場所であったことはほんとうに救いでした。もちろん苦労も数知れずではありますが、今思えば、小金井という場所の牧歌的な空気が、研究の辛さを和らげてくれていたようにも思います。悶々とした空気を振り払おうと、夕暮れの小金井公園で飲む缶ビールに、至福の境地を味わったものです。

 その後、建築学科は小金井から市ヶ谷へと移転し、私も延べ10年以上もの時間、研究室で歴史研究に携わっていくことになります。それは大学入学の当初、夢にも思わなかった状況です。いまこうして立っている異国の土地でさえ、あの日の小金井まで繋がっている、そんな不思議な感慨がふとこみ上げてきます。

 

 
  日本統治時代の建築が残る中山広場
   
  作成した法政大学旧第三校舎の復元模型
 
 
2007年ベトナム・バックリューの実測調査参加時の様子
   
   
 
[プロフィール]    
たかみち まさし    
高道 昌志 2015年博士課程修了 高村ゼミ

   
1984年富山県生まれ。
2015年博士後期課程修了(高村雅彦ゼミ)。博士(工学)。
専門は都市史、建築史、まちづくり。
法政大学エコ地域デザイン研究センター研究補助員を経て、現在、首都大学東京都市環境学部都市政策科学科助教。
東京外濠を中心に、地域研究、まちづくり活動に取り組む。
著書に『外濠の近代―水都東京の再評価』(単著, 法政大学出版局, 2018)、『外濠 江戸東京の水回廊』(共著, 鹿島出版会, 2012)ほか。