no.104

よみがえるソウル清渓川(チョンゲチョン)
2019年2月  

朴 賛弼(1997年博士課程修了 山田水城ゼミ) 


 

 私は日本へきてもはや30年が過ぎた。この30年間、韓国は大きく変わった。その中で最も大きく変わったこととして私は清渓川再生を挙げたい。ソウル旧市街の中心部を東西に流れている清渓川は朝鮮王朝の都市づくりの重要な風水要素の一つであった。しかし、その歴史は1970年代に入って経済成長に伴う高架高速道路を建設したため途切れてしまった。これは東京の首道高速道路を手本として計画された、韓国の高度成長のシンボルでもあった。清渓川覆蓋道路はソウルの幹線道路となりその結果、道路の下の川は下水道となってしまったのである。

 この覆蓋道路と高架高速道路を撤去して、2005年10月に生まれ変わった清渓川は街区ごとにテーマ性をもった特色がある。一、四街は歴史・文化をテーマに、かつての橋や宮殿の庭などの歴史的な造形物を再現、観光スポットとなっている。四、七街は遊び・教育の空間として、商業施設や高層マンションなどがある。七街から下流については、自然と生態系を生かす空間、川の再生と同時にビオトープがつくられた。

 私が生まれたのは清渓川の中心部の付近である。今でも清渓川の記憶は鮮明に残っている。小学校は北側にある小学校に通っていた。毎日、この小学校に通いながら清渓川の変わってゆく姿を見ていた。清渓川の本流では汚い水が流れはじめ、清渓川の下流には貧しいバラックの建物が建ち並んでいた風景を覚えている。しかし、清渓川の上流では、覆蓋道路の工事と高層建築の工事で新しい近代都市づくりが進んでいた。小学校時代には毎日このような風景を見ていた。

 復元後の変化は予想を上回る成功を博した。ソウルのイメージが大きく変わった。都市環境の改善はもちろん、清渓川周辺は訪れる人が多くなり経済効果も大きくなった。清渓川の夏の気温はソウル都心部の周辺より三、四度ほど低い。また、風の道ができることによって大気停滞が改善し、都市の自然換気がよくなった。さらに、水質はよく、魚類、植物、昆虫や野生鳥類も急増した。このように自然が豊かになった清渓川は市民には憩いの場、子供たちの自然学習の場として遜色がない場所に安着した。

 清渓川の復元は「水の再生」がテーマであったが、やってみたら見晴らしがよく、「空の再生」にもなったことに気がついた。この復元工事は、都市の環境を改善するためだけではなく、ソウルが首都となってからの600年の 歴史を復元することによって、現在、未来へと結ぶ媒体の意味をもつことになったのである。

 清渓川も2015年の10月で10年を迎えたが、清渓川の岸には緑が増えて自然さを増している。また、地上の清渓川周辺は新しい建物や店などがどんどん増えて、新しい都市の風景になっている。今後の清渓川は時代に連れて変わり続けると思うが、持続可能な都市河川として歴史と自然生態を回復維持できるよう努力を願う。

 

 

 
  自然環境を求めて人々が集まる(2012年6月撮影)
   
  残された高架道路の橋脚
 
 
清渓高架高速道路(1996年5月撮影)
 

 
  清渓川3街にて、陣内秀信先生とツーショット(2015年10月)
   
   
   
   
   
   
   
 
[プロフィール]    
ぱく ちゃんぴる    
朴 賛弼 1997年博士課程修了 山田水城ゼミ

   
1957年ソウル生まれ
1997年博士課程修了(山田水城ゼミ)
1983〜1986年公信設計研究所
1997〜2002年法政大学、武蔵野美術大学、東京工学院専門学校等非常勤講師
現在は法政大学建築学科教員、韓国漢陽大学建築学部兼任教授として活動中。