no.120

水と活きるまち・首都圏東京
2020年6月  

長屋 静子(2012-18年博士後期課程在籍 陣内ゼミ) 


 私は東京の水辺の町が大好きなのだ。湾岸部の船着き場やパブがある水辺の町も、郊外の多摩川水系の用水路沿いのゆったり時間の流れるカフェや昔からの水辺風景、はたまた旧江戸川沿いの行徳(市川市)の江戸期に水上交通の要所の行徳河岸の灯篭風景、今の風景と当時との対比の感慨深さ・・・。そして川口辺りで荒川に注ぎ込む芝川の中流の見沼田圃を潤す見沼代用水など、それぞれの地域の独自な風土を継承しつつ首都圏東京は今を生き変化しているので、現地を歩くと発見が目白押しとなる。そして、私は現地をできれば船で散歩したいと船を繰り出し、なるべく大勢で体験する活動と研究を継続している。

 徳仁親王(現・天皇陛下)は、平成18年(2006)「第4回世界水フォーラム」atブラジルの基調講演「江戸と舟運」の中で、利根川東遷の事業の一環として整備された日本初のロック(閘門)付き運河である見沼通船掘を日本を代表する文化遺産として紹介している。

 私も見沼代用水と周辺の倉のある街や見沼田圃に、以前から興味を持ち、ある研究会の利根川調査で20代の時から何度か見沼代用水の立体水路を視察している。しかし、ついに平成24年(2012)に、さいたま市の地元の方のご案内で見沼代用水・見沼田んぼ・見沼通船掘など全体の町、農地や水辺を訪ねる日がやってきた。水路沿いの小高い堤防上に雰囲気のある歴史的な倉庫や平地の入り口には想像より細い水路の通船掘があり、船溜まりは当時水上マーケット利用が盛んだった等、今と昔を重ねて発見の多い楽しい訪問となった。翌2013年に陣内研で「水の都市江戸・東京」の編集執筆時に、私は江戸期の隅田川エリアと舟運ターミナルの物流や空間、江戸近郊の内陸水運の要所だった見沼代用水や川越等の舟運の盛んだった地域を担当し、現在と重ねた視点で執筆する機会を得た。

 それでは、首都圏東京の水と活きるまち「見沼」を歴史も交えてご紹介しよう。

 八代将軍の徳川吉宗は幕府の財政再建策として米の増産のために新田開発を行った。享保13年(1728)伊沢弥惣兵衛は新田開発のために見沼溜井(さいたま市)を干拓したが、その際に見沼溜井の八丁堤を切り割り、その排水を芝川から荒川へ送水した。

 当時、見沼の干拓や新田化により現地は水不足となり、新たな灌漑用水源を利根川から取水するため、長さ60kmの用水路が建設され石高は倍増した。見沼溜井の耕地面積は1万5000haという広大な農地となり、現在の活用も盛んだ。伊沢は広大な見沼の農地と一大消費地である江戸との舟運物流の経済政策を考えた。そこで水がある上流部の見沼代用水と下流部の水がある排水路を見沼田圃の下流で結び、舟用の運河として見沼通船掘(みぬまつうせんぼり)を享保16年(1731)に掘削した。

 2本の水路間に落差が3mあったため我が国で初めての閘門(ロック)が設置され、水位差は克服された。ロックは木製の段式閘門で、日本最古の閘門式運河を「見沼通船堀」と呼んだ。見沼通船掘の閘門付きの閘室は「関」と呼ばれ「一の関」、「二の関」と2カ所あり、閘室は水位調整の間は船溜まりとなるので、関は商いをする人々で多いに賑わった。通船掘は江戸と見沼田圃を直接つなぐ重要なライフラインで、舟の往来は水量の確保のため冬場に行われた。見沼からはこの地で収穫した米や野菜や木材が搬出され、江戸からは肥料とするため購入した汚わい(金肥)や大豆粕、魚、塩や日用品などの物資が輸送された。このクリーンな循環のお蔭で当時の江戸は、ロンドンやパリ等では当時の伝染病ペストが流行ったが、これら世界の水辺の町と比較して、江戸は隅田川への糞尿の垂れ流しや混入もなく、クリーンな水辺の町はペスト流行もなかった。そして江戸はお参りの禊(みそぎ)のために泳げるほど綺麗な川のある街だった。物資の循環も高度に行き渡った江戸の人口は100万人を超え、世界一の都市といわれたのはご存知のとおりだ。

 現在、内陸部の水辺沿いの青々とした田圃の美しい田園の見沼に対して、湾岸部の天王洲は倉庫や工場が乱立する京浜工業地帯からイルミネーションが華やかな美しい水景のゆったりした水辺時間が流れる町へと戻ってきている。近郊の内陸部も湾岸部も水と活き活きする町「東京」を大勢の仲間で歩きと船で体験したい。

資料
・陣内秀信+法政大学陣内研究室 編, 『水の都市 江戸・東京』, 講談社, 2013.08(執筆者メンバー:岡本哲志、長屋静子、難波匡甫、石渡雄士、長野浩子、水田恒樹他)
・徳仁親王「水運史から 世界の水へ」-Speeches on Water Issues-,NHK出版, 2019.04

 

 

見沼の通船掘の史跡。補修しないと痛みがひどい(写真提供:地元)
 
通船掘の江戸期の関を現代に復元。水を貯留し船を通すイベントを毎年、開催している(写真提供:地元)
 
通船掘の土手の上には倉が立地し、物流倉庫となっていた。現在は、観光客が見学できる(写真提供:長屋)
 
水上交通の安全を祈る水神社が八丁堤に面して立地(写真提供:長屋)
 
天王洲のテラスや店の賑わいを船から楽しむ(写真提供:長屋)
 
天王洲の夜景:フローティング会議室のイルミネーションが美しい(写真提供:長屋)
 
夜の水辺のテラスの店員と客のやり取り
 
天王洲運河に浮かぶルミネ―ションとテントが幻想的(写真提供:長屋)
 
 
 
 
 
 
 
[プロフィール]    
ながや しずこ    
長屋 静子 2012-18年博士後期課程在籍 陣内ゼミ

   
日本女子大学住居学科卒業後、(株)鹿島建設建築設計本部勤務。日本河川開発調査会にて高橋裕(東京大学名誉教授、水循環・河川工学)の江戸期の治水・河川環境報告書作成アシスタント。都市設計事務所勤務および建設省土木研究所都市河川研究室研究員。2012~2018年法政大学博士後期課程陣内ゼミに在籍。流域フォーラム代表理事にて流域と船活動を実施。