55/58年館の再生に向けて〜デザイン工学部からの提言

 

 法政大学市ヶ谷キャンパスは、この10年ほどで、ずいぶん様子が変わりました。
  2000年には53年館を取り壊し、26階建てのボアソナードタワーが完成し、2004年には川原一郎先生の設計した、学生会館が取り壊され、その跡地に外濠校舎が2007年に完成しています。
  又、2006年には東側に接した嘉悦学園を取得して、富士見校舎として使用しています。
  そして今回、55年館、58年館を取り壊して、新たに立て直す計画が進められています。
  55年館、58年館は戦後日本の現代建築を代表する、大江宏先生による名建築です。
  そこで、デザイン工学部教授会より大学に向けて、「55/58年館の再生に向けて〜デザイン工学部からの提言」を提出しています。
  その全文をここに掲載します。

2010.5.18

55/58年館の再生へ向けて〜デザイン工学部からの提言〜

デザイン工学部建築学科教室一同

法政大学の理念にふさわしいリノベーション型開発
 法政大学は「開かれた大学、開かれた精神」「自立型人材の育成」などを基本理念とし、「環境」‥中略‥「総合デザイン」をキーワードとするビジョンを掲げて様々な大学改革を推進してきました。デザイン工学部もこの高邁な理想に深く共感し、その実現に寄与したいと切に願うものです。また「自己点検委員会」に提示された「法政大学の理念・目的および各種方針」には「自然、社会、文化の持続可能性が確保される地球社会の実現に貢献することをリーディング・ユニバーシティたる本学の社会的ミッションとする」と記されています。これらの点を考慮するならば、今まさにスタートしようとしている55/58年館の開発計画はリノベーション方式(既存の有効部分を活用しつつ、時代に即した必要部分を新たに付加する手法)によって進められることこそがふさわしい選択であると考えます。そしてそれは単にコスト縮減だけでなく、社会の環境意識に高く訴えることによって、その効果が大学にとっての極めて質の高いアピールになり得るものと考えます。
 私たちは、このようにキャンパス更新における最も重要な基本姿勢をリノベーション型開発だと考えるものですが、以下にその根拠と効用についてもう少し具体的に記すこととします。

(1) リノベーションこそが究極のエコロジー
 近年、エコロジーやサステイナビリティーを謳った新しい建築が続々登場しつつあります。ただし究極のエコロジーとサステイナビリティーは、実はリノベーションによってこそ最大限に実現されるものです。かりにスクラップ&ビルド(解体+再建設)の手法を選択した場合には、基礎も含めた既存部分の解体から、処分地までの運搬、廃棄処理に加え、あらためてほぼ等量の鉄筋・コンクリートの製造、運搬、組立て、打設が必要となり、それらに関わるエネルギー消費量と炭酸ガス排出量の総体は莫大な量とならざるを得ません。新たに建て替えられる建物がいかに環境負荷低減型の建築であろうとも、スクラップ&ビルドにともなう総負荷(消費量+排出量)を帳消し(オフセット)するために長い年月を要することは明らかです。また今回のように容積(総床面積)増大がほとんど見込めないケースにおいては、リノベーション方式が特に優位な手法となりうるのです。

(2) 歴史的蓄積が人を育てる
 世界中で名キャンパスと称される大学にはいずれも歴史の厚い重層があります。社会も技術も文化も、現代とはすべて過去の長い蓄積の上に成り立っているものと考えるならば、そのことをもっとも身近に体感させてくれるのがキャンパスの空間と建築だといえます。様々な時代が投影され、歴史の継続性を備えたキャンパスこそが真に人を育てるにふさわしい場であり、そこにはかつて学んだ多くの人々の多彩な記憶や思い出も刻み込まれているのです。

(3) 校舎建築は「大学の思想そのもの」の表現
 特に、市ヶ谷キャンパスの核をなす55/58年館は、インターナショナル・スタイルによる透明感のある全面ガラスを用いた大胆で美しい壁面をもち、戦後日本を代表する建築の一つとして高い評価を得てきました。アカデミズムの権威を示す校舎が主流だった時期に、フランス自由民権法学の流れをくむ、法政大学らしいリベラルな学風を象徴する建築として颯爽と登場しました。学生ホールを中心に据えたユニークな空間構成は、自由で開かれた学園を目指す大学の建学の精神の表現でもあります。まさに、法政大学全体の顔である55/58年館の再生だけに、その方法については、機能・実用面、経済面に加え、より広い視野に立った慎重な議論が必要であると思われます。
 55/58年館はまた、外濠上の広い台地の敷地に、地形的・地勢的にも上手く納まっています。外濠は近年、史跡としての価値が大きく評価され、目下、千代田区、新宿区などの間で、その景観を活かしたまちづくりが検討されています。キャンパスと外濠の密接な繋がりは校歌にも象徴されており、その風景の中の重要な要素として校舎の在り方を考えてゆくことは、大学にとっての社会的任務ともいえます

(4) モダニズム建築特有の骨格と空間構成
 55/58年館はモダニズム建築共通の特徴として、骨太でシンプルな骨格を有しています。また近年の建築のように種々の表層材によって内外を覆い隠されることなく、骨格自体が均整のとれた体系として成立しています。空間構成上は、等間隔で柱の並ぶ教室棟に対して、その中央部を学生ホール・教職員食堂(授業時間外における学生・教職員それぞれの交流・休息の場)が大き目のボリュームとして貫いている点が特徴といえます。これらの特徴は、新たな再生(リノベーション)に際して、以下のようなメリットを生み出してくれます。
・ 現状の骨格の中に新たなレイアウト(間取り/用途配分)を描こうとする際の自由度が
高く、柔軟性を備えている。
・骨格(耐震補強された躯体)やファサード(外観)などの恒久的要素と、インテリアや
 付帯設備など可変的な要素の双方を、対比的に取り扱うことに適している。
・教室など教育本体部分とホール・食堂など厚生部分とを無理なく両立させることが可能。
 (稼働率の低い6〜7階部分を、教室以外の例えばカフェテリア等に転用する可能性も併せて)
なお、2010年3月17日付「市ヶ谷開発本部の設置について(案)」 2-(1)-d「建替えに当たって」には、今回の計画に必要な基本事項として以下の4項目が挙げられています。
 (a)環境に配慮したキャンパス創り
 (b)将来の情報インフラ整備にも充分耐えうる構造
 (c)改修可能な構造
 (d)学生・教職員の福利厚生施設の充実
これら4つの基本事項 (a)〜(d) に対しても、上記 (1)〜(4)を根拠とするリノベーション型の再生方式が、十分に対応し得ることがお分かりいただけると思います。

<参考>55/58年館について留意すべき点
(1)建物の来歴:空襲により校舎の2/3を消失した所から戦後の市ヶ谷キャンパス復興はスタートした。「美しい建物と庭園、大きな図書館と立派な学生ホール」という大内兵衛(当時総長)の抱負を骨子としながら、1950年に大江宏(当時建築学科教授)を中心にマスタープラン作成が開始され、1953年の大学院棟完成を皮切りに、その後5年を経て55、58年館が完成した。翌59年にはこの建物群の優れた設計に対して文部大臣賞芸術選奨および日本建築学会作品賞が与えられ、その後、わが国モダニズム建築の重要例として多くの場で語られ続けてきた。ただし90年代に入ると、これらすべての建物解体を前提とする開発計画がスタートし、2000年にはその皮切りとして53年館の跡地にボアソナード・タワーが竣工した。当時ちょうどDOCOMOMO(近代建築保存推進の世界組織)の日本支部から、55/58年館を「日本の近代建築100選」に選定したい旨の申し出があったが、解体計画進行中という事情から選定対象外という残念な結果を招くこととなった。だがその後ふたたび、全体計画の見直しに伴って幸いにも両館は残存することとなり,現在に至っている。

(2)耐震性:今回の建て替え計画は、強度不足が最大の根拠となっており、大々的な補強を施さなければ地震には耐えられないという誤解を生んでいるが、事実はまったく異なる。ごく大雑把な言い方をすれば、「ある部分が強すぎるために、地震時にその強さが邪魔をして他の部分の破壊を招く恐れがあり、両者の縁を切ることがもっとも重要な耐震策となる」と要約できる。しかもその対策は階高の大きい3〜4階に集約されており、下層階(1〜2階)や上層階(5〜7階)には及んでいない。(※庭側の低層棟の屋根については慎重な補強上の工夫が必要)

(3)費用ほか:半世紀以上を経た55/58年館における利用上の問題点は種々あるが、その多くが情報設備や機械関連設備に集中していると思われる。これらについてはかなり抜本的な更新・追加が必要になろうし、それに要する費用は決して小さくない。ただし、新旧に関わらずどんな建築の場合も、情報・機械等の設備関連系統はもっとも交換サイクルの短かい部分であり、ここに要する費用の大きさを理由に、建物全体まで建て替えねばならないという論理は根拠に乏しい。
 なおエレベーターについては、現状の台数とサイズが充分なキャパシティーを有しているにもかかわらず、速度不足と制御方式の古さが利便性を大きく損ねている。すなわち、この2点に改善が施されれば、スペースの増大なしに充分な利便性の向上が図れる。

 
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